CaptainArakawa’s diary

ソロツーリングが好き!

面倒くせぇ世の中に……

ガラの悪い……いや、頭のわるい……いや、偏差値の低い……ま、つまり程度の良くない学校は、そうでない学校に比べてやたら規則多いのよ。

しかも、ホントつまらない規則がさ。

一時期話題になったブラック校則ってやつですか。自分の行ってた学校もそう。

守らない、言う事を聞かない俺たちも悪いんだけどね。 

方や、制服もなく、生徒の自主性に任せ自由な学校もあるんだよね。

とにかく自分の行ってた学校なんてなんでもかんでも規則で縛って、ちょっと違反したら自宅謹慎だ停学だって。

それを、今度は国がやるの?

つまんない規則作らなくても、大事なもんは自主的に大事にするし、なんかするやつはそこに主張があるんだから放っておけばいいじゃん

と、思うんだよね、自分は。

国から自宅謹慎や停学処分くらう時代って……

まあ、みんなそれでいいなら、いいか……

 

よくねぇよ!

気がつけば群馬

最近年々バイクに乗る時間、いや乗れる時間が減ってきた。忙しくなったから?いやいや、どんだけ忙しくても好きな事するための時間を作ることはできる。

そこじゃなくて、季節よ季節。冬は昔はあまり走ろうなんて思わなかった。だって寒いしさ。けど、最近は良い防寒具がたくさん出てきて、電熱仕込んで着る、あるいははめるコタツみたいなのも出てきたから寒くて辛いもかなり解消される傾向で雪や凍結さえなきゃ走ろうかなと、けどね暑いのは、こりゃもう、どうしようもないわけですよ。バイクは風受けて涼しいみたいに思うでしょ。

んな訳ないんですよ、もう、ここ最近の夏なんて受ける風も熱風さ、ずーっとドライヤーの風浴びながら走ってるようなもんですよ。

それでなくても、バイクは装備品だらけ。足元ブーツで、パンツもプロテクター入ってたり生地も厚めだったり。上着も当然長袖で、とどめはヘルメットさ。

ドライヤーの風浴びながらのこの装備。

バイクから降りてヘルメット外したら汗の顔面シャワーっす。

事ほど左様に夏のツーリングは難行苦行。

と、すれば、春雪が溶け梅雨の前までのこの時期には隙があったらグッチィくんと旅へ

冬は凍結怖いし、秋も落葉怖いので海に行きがち。という事で春から初夏にかけては山ですよ。

関東の南側に住んでると三方向に山ありますから今日は東へ、明日は西へ、次は北を目指そうか、なんて色々楽しめるのに……

気付くと群馬にいる不思議。

なぜ群馬?何かあるわけでもないんですよ、個人的に。温泉、ええ、そりゃ群馬は名湯多いですよ。でも、東にも西にも良い温泉はありますから隣の栃木でも、手前の埼玉でも、先の長野や新潟でも、なのに群馬、なぜだか群馬、気がつけば群馬。榛名、赤城、妙義どの山もいいんです。

この時期の若葉の眩しさ。一斉に咲き出す花々、ああ、麗しの里群馬。群馬いいとこ一度はおいでと宣伝してしまうくらい群馬なんです。

別に好きなわけではないんですよ、なのに不思議と愛着を覚えてしまう魅惑の群馬、さあ、今週末も天気良さそうだし、群馬へGO!

#群馬 #ツーリング #モトグッチイ

そう言えばキャンディーズの話

自分達の世代って、もう圧倒的にピンクレディ派だったんだよね。キャンディーズはちょっと上の世代でさ。でも自分はキャンディーズが好き。

近所にいる優しいお姉さんみたいな雰囲気が心地よかった。

見ごろ食べ頃で見せるコメディエンヌとしての面白い感じもよかった。そりゃ、もちろん画面通してだからそれがすべてではないだろうけど愉快なお姉さん達だなって

かと思えば歌ってる時の感じはまた違って、曲によっても表情が全然違って。

わな、大好きだったな。

ミキちゃんのメインボーカル

なんか声が大人っぽくて

よく通る道の途中にスーちゃんのご実家があって。その辺り通るたび

ああ、この辺りに居たんだね

ここの小学校に通ってたのかな……

なんて

今や、蘭ちゃんを見かけるくらいだけど

いつまでも若くて元気で

変わらないなぁ

って、嬉しくなる。

画面の向こうとこっちが別れてた

いい時代だったんだなぁ

 

 

天下をとらない成瀬さんの話

ちょくちょく、降って湧いたように出会った女子の話を書いてるのは、せっかく何かの縁で出会ったのだから覚えておきたいなって思うから。

アサヒが満を侍して出したスーパードライ。1987年3月発売なんだけど、それに先駆けて二月頃池袋のサンシャイン展示場でフードエックスジャパンと言うイベントでバイヤー向けに試飲会が催され当時イベントスタッフのバイトしてた自分はアサヒビールのブースで仕事してました。

当時の代理店は東急エージェンシーで制作会社に降りてきて、スタッフ派遣会社から自分は入っててまあ、下っ端も下っ端、東急エージェンシーの扱いなんてもう人買いに売られてきた奴隷の様な扱いで…

まあ、そんな事はどうでもいいんだけど、アサヒビールの担当は打って変わっていい人で「普段ビール飲む?」「はい、大好きです」って言ったらじゃあお客さんに勧めるのに味知っておいた方がいいだろうって試飲缶を

東急のアホは「いや、そんな事しなくても結構です」その一言聞いて、心の中で「何言ってんだ馬鹿野郎」と舌打ち

ところがアサヒビールさん

この新商品に余程自信があったのか、我々の反応をみたい様で「いや、是非飲んでください」

その一押しで発売前のスーパードライ

いや、衝撃でしたね、あの美味さ

酒屋でバイトしてた経験もあって色々ビール飲んでましたが「こりゃ売れるだろうな」と、後の大ヒットを確信しました。

そりゃ、もう、その味知ってますからお客さん誘引するのにも力入りますよ。

おかげでアサヒビールのブースは大盛況。一緒に試飲してもらってたクアーズもドライの勢いにつられてどんどん試飲してもらって、冷やしても冷やしても追いつかず、休憩時間も多めとなりました。その時間よく話してたのが成瀬さん。関東の元気のいい女の子って感じで物怖じしないし、言葉も歯切れよくって話があったって言うか波長があったって言うか、その会期中ずっと仲良くしてもらった。当時は劇団員に上がったばかりで最高に貧乏な頃で、デートに誘う余裕すらなく、その場でサヨナラでしたが、彼女からもらったBOOWYのカセットテープは大切な思い出です

ちょっとまじめに

人は、なぜ群れたがるのだろう。
なぜ、自分で考えることよりも、他人と同じ方向を向くことを選ぶのだろう。

孤独は、誰もいないことではない。
孤独とは、自分と出会っていない状態のことだ。

多くの人は「孤独」を恐れる。
それは、古い記憶が体に刻まれているからだ。
かつて人は、群れの中でしか生き延びられなかった。
だから今も、群れから外れることに“死”のような恐怖を感じる。

しかし現代の孤独は、もう生存の危機ではない。
むしろ、思考する自由を取り戻す機会だ。
他人の声をいったん静め、自分の中に沈み込む。
そこには、誰かの評価ではなく、自分自身の声がある。

考えることは孤独な作業だ。
けれど、その孤独こそが、他人と真正面から向き合うための力になる。
群れに紛れている間は、他人を本当には見つめられない。

孤独を受け入れた人だけが、他者を理解できる。
それは冷たさではなく、静かな愛だ。

いま、世界は“つながる”ことに疲れている。
承認の洪水の中で、自分の輪郭を失ってしまった人々。
孤独を怖れ、孤立を恥じ、誰かの価値観に身を委ねる。
けれど、他人と比べて安心することは、決して幸せではない。
それは、心の貧困という名の依存だ。

孤独を楽しめる人は、もはや孤独ではない。
その人は自分の中に小さな灯を持っている。
世界の喧騒から少し離れ、その灯を見つめながら生きること。
それが、成熟した孤独だと思う。

寺田文ちゃん

夢の中に出てきた彼女は、ラーメン屋のお嬢さんになっていた。

本当は、町の雑貨屋さんのお嬢さんなんだけどね

勝手に職業変わっちゃうところが夢のいい加減さ。

濃紺のTシャツに、頭にタオルを巻いて大勝軒スタイルの文ちゃん

歯切れの言い感じは変わらないね。

仕事終わったら遊びに行こうって、店の前で待つ俺。

ああそう言えば、彼女が勤める洋服屋の前で仕事終わるの待って待ち合わせしたなぁ。

彼女にはいろいろなお店教えてもらった

原宿で映画見ながら飲める店(めちゃおしゃれ)

池袋のボウリング場でビリヤード

ドライブもまだ何もなかったころのお台場(砲台だけしかなかった)

東京のお洒落な所を随分教えてもらった。

かなり個性派ファションだった自分が、それなりにお洒落に目覚めていったのは彼女の影響が大きいかな。

千住のお家はもうお店もやってないみたいで

そもそも、彼女の事だから、お嫁に行って、もう子供も立派に成人してるんだろうな

ほんの、一瞬しか交錯しなかったけど、影響を受ける人っているんだよね

そうして、時間がたってこうやって反芻する。

この時間のなんて贅沢な事

経験は何にも代えがたい宝

ドンドン、外に出て人に関わってこその事だよ

もしまたどこかで会う事があったなら、その時はまたお洒落なお店紹介してくれるかな

文ちゃん

楠のざわめきの町

田辺の屋敷町に、かつて私の家はあった。
町全体は城下町の名残をとどめ、迷路のような道や、漆喰の塀に板をはったもの、古い瓦を積み上げた土塀が連なる屋敷町らしい佇まいであった。当時は下水道がなく、道路わきの溝に排水が流れ込み、年に二度ほどどぶさらいをした記憶がある。表通りの街灯は裸電球がぽつりぽつりと灯る程度で、小さな頃は一人で歩くなど考えられないほど暗くて怖かった。

三軒隣には稀代の博物学者・南方熊楠邸があった。外から見た南方さんの家は鬱蒼とした木々に包まれ、子ども心に近寄りがたい気配を放っていた。なかでも大きな楠の木は町内一の大木で、風が吹くとざわざわと葉の音が響き渡り、昼はキジバト、夜はフクロウが低い声で鳴いた。その様子はまるで近づくことを拒んでいるかのようだった。
失礼にも「お化け屋敷」と呼んでいた南方邸。小学生の頃、そこに偉い学者さんが住んでいたと聞かされたが、特に興味を持つこともなく、学校でも郷土の偉人として名前を見かけた程度であった。今ほど評価されていなかった時代で、そうだったのか、と軽く流してしまったことを今では少し悔やんでいる。

引き戸の横に掛けられた「ミナカタソサエテイ」と書かれた札は、子どもにとってとても怪しく、悪の組織のアジトではないかと想像したこともあった。少し知恵がついてからは、「南方そさえ」さんという人の邸宅をカタカナ書きしたのだと壮絶な勘違いをしていた時期もある。

屋敷町の家々にはそれぞれ植木や花壇があり、我が家にも春は水仙、沈丁花、夏は夏ミカン、秋は金木犀が香った。東風の吹くときは遠く鉄道の音が響き、海からの風は芝生の庭を抜け、窓際の風鈴を揺らした。
風呂は五右衛門風呂で、井戸水をくみ上げ薪で沸かしていた。煙突から出る薪の煙の匂いが、暮れゆく町を包んでいた。

今では我が家も周囲の屋敷もほとんど姿を消し、町の様相はすっかり変わった。唯一、南方熊楠顕彰館として残る南方さんの家だけが、あの頃の中屋敷の息づかいを今に伝えている。
けれど、私の中では今も、楠の葉がざわめき、竹藪がガサガサと応えるあの音が、静かに息づいている。
それは、町全体がひとつの生命だった時代の記憶だ。

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