僕の書く台本にはよく実在の人物が登場する。
具体的な名前がある方が人物が動きやすいのだ。
先日もあるコンクールのラジオドラマを描いていて
思い出したのが、松下裕子さん。ずっと片思いのまま終わった憧れの彼女。
同い年だけど、早生まれで
学年は一つ違いの、才色兼備の、当時の自分からすればちょっとした高嶺の花だ。
彼女をモデルとした女子は、
時に頭がよく目的をはっきり持った優等生であったり
時には、ダメな弟を時に優しく時に冷たくあしらう姉のようだったり
当時自分がそうあってほしいと思った事を作品の中で演じて貰っている感じだ。
そんな、彼女との出会いは、僕が中二の時の夏休み。
叔母の見舞いに丹波篠山へと向かう僕。
丹波篠山の有名な夏祭り「デカンショ祭り」前日の8月14日火曜日。
日付まで正確に覚えてる理由は
当時の福知山線は本数も少なく、列車到着のちょっと前から改札が始まる。
搭乗予定の列車は米子行きか鳥取行きの普通列車で当時の福知山線はDD54がけん引する客車も数両のいかにもローカル線らしい編成だったように記憶している。
改札が始まるまで、乗降客は駅の待合室でテレビを見たり雑談したりと時間をつぶすのだが、その時テレビでは高知高校対富士高校の試合が行われていた。
当時は今以上に高校野球の人気は高く、この試合も延長15回の大接戦だったのだがこの一試合後には近畿地方の強豪校の試合とあってこの日は注目度が高かった。
そうこうしているうちに、改札が始まったが始まったばかりの時間は、駅舎にいた人たちが我先にと繰り出して込み合うので、その列が途切れるまで僕は高校野球を眺めていた。
ようやく人混みも落ち着いてきたので、改札で神戸電鉄からの乗り継ぎ切符を見せホームへと進んだ。真夏の日差しと熱気で、遠く宝塚方面を望めば、線路には陽炎が立ち込め関西ではお馴染みのクマゼミの鳴き声が響き渡っていた。
三田駅一番線ホームの福知山方面寄りには花壇があって、夏の盛りにぴったりの
大輪のひまわりの花が咲いていた。
その大きなひまわりの前に、赤地に白の水玉のリボンの付いた麦わら帽子を被った彼女がいた。
リボンを風になびかせ、そのリボンと同じ柄のワンピースを着た彼女に僕の目は釘付けだ。
今でも、この瞬間の事を思い出すと胸が高鳴る。
ホームにはDD54がけん引する列車が滑り込む。
車内はほどほど混んではいたがローカル線の程々なので一人が一つのボックスを占拠できる程度の込み具合だ。
もう少し混んでいれば、図々しく彼女のボックスに、さも偶然を装い座ったのだろうが
その野望は瞬時に打ち砕かれ、彼女より少し離れたボックスから彼女の様子を眺めていた。話しかけたいけどとの思いはあるのだが、中二の僕には、それは結構高いハードルで、なかなか踏み切れず、さりとて、ここで声掛けなければ、もう二度と会う事はないだろうという思いもあり(余談だが、一年後偶然神戸の叔母の家の側ですれ違った事があるのでこの時の未来予想は外れ。もっともその時彼女は夏休みの部活か何かに向かう途中で自転車であっという間に通り過ぎていったのだが……)その焦りは、根性なしの自分を奮い立たせ、ついに話しかける決心をさせた。
結果、彼女は田舎の祖母宅へ向かう途中だという事。祖母宅でピーマンの袋詰めを手伝うのだという事。割と近くに住んでいるのだという事。など、ドキドキしながら話したので、後々思い返すと多分相当恥ずかしい感じだったんじゃないかと思うのだ。
その後の彼女との思い出は相当ほろ苦い青春の思い出なのだが、今、こうして、自分の作品世界に登場する彼女は、ほぼあの時のイメージのまま。
あの時、ああして出会えたことは、最高の思い出だ。